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発達凸凹と分かるきっかけと学びについて

発達凸凹であると分ることになったきっかけからお話しなければと思います。

子育ての中で大変だと感じる事は、人それぞれ違うと思います。

が、他のお子さんと違う?と少しづつ感じ始め、それが確信に変わった時、

まずは家族やママ友に相談してみるのではないでしょうか?

でも、定型発達のおこさんのママに話しても、分かってもらえないどころか、子育てを非難される事さえありました。

きっかけ

保育園では、集団行動が苦手でした。

それをからかう同年代の子に手が出たりしていました。

同年代の子たちは日に日に賢くなり、見えないようにからかいます。

すぐに怒ると更におもしろがります。

それで更に苦手意識が強くなり、ちょっとしたからかいでも怒るようになりました。

だからなのか、保育園では基本ほとんどの時間を本を読むことで過ごしていたようです。

そのことで、担任の先生から呼び出しを受けました。

「お子さんは本ばかり読んでいる。私がみんなの輪に入れるようにしてあげても、結局すぐに本を読みに来る。」

「いまだに手が出るし。」

「なんの成長もしていない!!」

会ってすぐの言われよう。。。。

私はこう返しました。

「確かに手が出てしまう事申し訳ありません。しかし、回数もずいぶん減るようになり、今後も努力するよう頑張ります。ですが、本を読むことの何がいけないのでしょうか?」

すると、

「回数が減ってもいまだに手が出ている!年長にもなって集団で行動せずに一人で本ばかり読んでいる。全然進歩していない!!」

ここまで『成長も進歩もしていない!』と断言されると、もう何を言っても無理。

「何一つ成長していなくて申し訳ありません。」と告げて、その場を離れました。

涙をこらえながら園庭の砂場で遊ぶ我が子を待っていると、ママ友が異変を感じたのか声を掛けてくれました。

一部始終を伝えると、「そっかぁ、辛かったね。。。。。」

と慰めてくれ、そのあと少し間があき、少し悩みながらこう言いました。

自閉症で検索してみたらどうかな?」

自閉症と検索して

突然、考えた事もない「自閉症」というワードを告げられ驚きつつも、信頼しているママ友でしたので、帰宅後すぐに調べてみました。

県の自閉症専門機関のHPを見つけました。

そして『これに当てはまりますか?』というたくさんの問いに当てはまるたくさんの項目。

初めて「発達障害」という言葉を目にし、そして我が子がそうである!と確信し、

これで我が子が救われるんだ!!!

と、喜びで涙が止まりませんでした。

ショックよりも、救われる喜びが圧倒的に勝っていました。

すぐにその機関に連絡し、予約していろいろいろいろ。。。たくさん検査をして、

「発達障害・アスペルガー症候群」との診断を受けたのでした。

当時の「発達障害」というワードの認知度

その専門機関で就学前に出来る事すべてやりました。

と同時に自分もちゃんと理解するべきだと本屋へ向かいました。

今では信じられないかもしれませんが、県で1・2を争う大きな本屋でさえ、

「発達障害」関連の本は2冊しかありませんでした。

更に信じられない事に、保育園の先生の理解もほとんどありませんでした。

担任は信用できなかったので、違う組の先生にそのことを告げました。

保育園内でも「発達障害」というワードを知っている、数少ない先生の一人でした。

「そうでしたか、大変でしたね。」と優しく声を掛けられ涙が止まりませんでした。

担任には伝えても仕方ありませんし、むしろ伝えないで欲しいのです!とお願いしましたが、そんな訳にもいかなかったのでしょう。

翌日から高圧的な態度はなくなり、バツが悪そうに遠巻きに観察しているスタンスに変わりました。

が、謝罪も慰めも一切ありませんでしたね。

保育園の先生でさえ気づくことが出来ない。もしかしたら「発達障害」というワードさえ知らない?

そんな時代でした。

そして更に、小学校でも同じだったのです。

教育機関でさえ知らない

とにかく学びました。我が子の為に必死でした。

なんとか自分が理解を深めても、家族の理解を得るのは大変でした。

どれだけ伝えても「そうは言っても。。。」と、否定される事も多く、

理解して欲しいと伝えれば伝えるほど、家庭内の雰囲気は悪くなるばかり。

小学校に入ると、環境の変化についていけず不安定なる我が子。

県の機関とも連携を取ってもらえるように、学校に必死にお願いを重ねてなんとか了承を得て。

ですが、多くの先生方は大学で学んできていないのです。

担任も知らない人でした。

我が子は教室に入る事さえ出来なくなり、担任もイライラしているようでした。

理解すれば見えてくる

頼りになってくれたのが、保育園の時のあのママ友でした。

何を言っても理解してくれ、アドバイスもくれる。

そう、そのママ友のおこさんも今でいう「自閉症スペクトラム」でした。

我が子ほど濃くはないけれど、その道の子育てを頑張ってきた先輩でした。

知らない私は気づきもしませんでした。

でも、ママ友は我が子の事を気づいていました。が、なかなか言い出せるものではありませんよね。

自分で必死で理解すよう努力していくと、他の子供達の中にも「発達障害なのでは?」と感じる子が見えてきます。

そして理解すればするほどに、その行動の理由が分かってくるのです。

学校という箱に入れられて

小学校・中学校・高校という、学校という箱に入れられた我が子は、暗黒の時代を苦しみ生きていました。

もしもう一度生まれ変われるのなら、迷わずその箱から出る選択をしたように思います。

苦しんで苦しんでこの世から居なくなりたいと言われ。

なぜここまで苦しまなければならないのかと悲しみ、もがき、苦しみました。

それでも、要所要所ででたくさんの人に助けられ、

ギリギリで今この場所に立てていられるのだと、とても感謝していると同時に、

ここに立てているのは、ただただ我が子の努力

そして奇跡の出会い

もしそのママ友に出会わなかったとしたら。。。ゾっとします。

理解するため学んだこと

  • まずは本を読み漁りました。2冊しか売っていなかった本も少しづつ増えてきましたし。
  • 専門機関の担当員さんから、たくさん学びました。
  • とにかくすぐに相談して、すぐ実行しました。
  • ペアレントトレーニングを受けました。
  • 応用行動分析学を独学で学びました。
  • 親の会を立ち上げ、たくさんの方々にお会いできて、そこからたくさんの事を学びました。
  • ペアレントトレーニングをする側になり、更に多くを学びました。
  • 県の機関のお手伝いを少しですがさせて頂いています。
  • 短い間でしたが、学校で働いた事も学びでした。
  • すべての出会いに学びがあり、自分の考え以外の多くの考え方を知りました。

ですが、自分で学んだだけではこの場所には立てていません。

悩みを分かってくれる仲間。

仲間なくしては、どれだけ学んだとしても進めなかった。

仲間の大切さを知った。それこそが一番の学びだったと思います。

現在も何一つ隠すことなく話ができる仲間がそばにいてくれています。

年に2~3回ですが、ランチしながら現在の悩みを語り合い、

お互いに「出会えて良かったー!」と言いながら、いまだに泣いたりして。。。

今も子育てで悩んでいる方々も、

どうか仲間に出会え、苦しみを分かち合え、少しでも前に進んでいけますように。

ゆっくり、時には止まって、進んでもらえたら嬉しいです。

もし、書いて欲しいリクエストがあれば、可能な限り書かせて頂きたいなと思っています。

あくまでも我が家流となってしまいますが。(^-^)

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